村上社長が語る!アイシンの歴史とこれからの未来
皆さんこんにちは。「『粉』を操る技術でお役に立ちたい」という気持ちから1972年に創業し、粉に関わるすべてのお客様のために、最適な粉粒体ハンドリング機器・装置・設備を提供しているアイシン産業株式会社の広報担当です。
現在、アイシン産業では一緒に働く仲間を募集しています!
今回は、社長の村上に、これまでのアイシン産業の歴史とこれからの未来について語ってもらいました。
■講座をきっかけに粉体の面白さに目覚めた大学時代
─最初に、自己紹介とこれまでの経験を教えてください。
代表取締役社長の村上徹(むらかみ・とおる)です。
私は、石川県にある国立大学の工学部・化学工学科を卒業し、就職で関東に出てきました。普通であれば4年で卒業するところを6年かけ、その間に飲食業・ビル清掃・家庭教師・遊びなどいろいろな経験を積み、同級生たちよりも少し遅く社会に出ました。
大学時代にたまたま粉体工学という粉の講座を受け、そこで粉が非常に面白いと感じ、それが粉に目覚めるきっかけになりました。気体・液体・固体の中で、固体にあたる粉はまだなかなか工学的に確立していない学問だと聞き、勉強が嫌いだったものですから「粉の世界だったら、無学な自分でもこれから経験していけば何とかなるのではないか」と思ったんです。そこで“粉体”というキーワードで就職先を探し、粉体ハンドリング設備のエンジニアとして社会人をスタートさせました。
─学生時代の経験で、卒業後に生きていると感じることはありますか?
飲食業の経験を通して人への接し方を覚えましたね。あとは、中学生の家庭教師の経験は、海外の仕事をやるようになった際にそのときの英語の復習が非常に役に立ちました。ビル清掃の仕事は、とにかく体力をつける面で非常に良かったですね。
■2年遅れで社会人に。がむしゃらに働いた1社目
─就職してからはどういった仕事をされてきたのでしょう?
2年遅れで、大学をやめようとまでした人間がかろうじて卒業し、一部上場企業に入り、当時は「よう入ったな」と自分で自分を褒めましたが、やはりどこか劣等感があったので、とにかくがむしゃらに働きました。
自動車メーカーの鋳物工場といった決して良い環境とは言えない現場に入り込んで、その工場の環境をいかにしてきれいにするかを計画して設備を納めるというのが、私の仕事のスタートでした。
入社後には、アメリカのメーカーと技術提携をして技術を引っ張るという企画が立ち上がり、その技術供与のメンバーに選ばれてアメリカに行かせてもらいました。とても運が良かったと思います。そして、この立ち上げにはかなりの時間を費やしました。
当時日本には知名度も実績もある粉体のハンドリング会社が何社もあり、私が所属していた企業は後発。なかなか太刀打ちできるものではありませんでした。そしてある商談をきっかけに国外に目を向けることになりました。韓国の財閥系エンジニアリング企業を経由し、インドやタイなど、東南アジアに向けて展開をしていきました。結果的に、在籍期間の何割かは海外の仕事をしていたことになります。
入社13年が経過した頃、100人を超える部署のエンジニアリング本部長になりました。そこから10年は、国内外含め、出張先から出張先へとお客様の工場を転々とする日々を過ごしていました。
ですが、本当はサラリーマンではなく、経営に挑戦してみたかったんです。
新卒入社したときの社内冊子のインタビューでも「社長になりたい」と言っていたくらいで、自分のやりたいことへチャレンジし、結果を出すことに惹かれるので、もっとスリルのある立場が向いていたのだと思います。
社長になりたいという気持ちが捨てきれなかったので、前職を辞め、私が駆け出しだった頃から接点があった宮川が起業したアイシン産業に転職しました。
■アイシン産業のこれまでの歴史
─アイシン産業はこれまでどういった歴史を歩んできたのでしょうか。
アイシン産業は1972年、秋田出身の宮川が31歳のときに設立しました。当時、機械メーカーの社員だった宮川が営業で回っているときに、工業試験研究所の先生から「作ってくれないか」と相談されたのが、今の弊社の主力商品であるロータリーバルブだったんです。
その話を会社に持ち帰るも「難しいからやめなさい」と言われてしまったと。ただ、宮川の中にはやってみたい気持ちがずっとあり、何度か会社に提案していると「そんなに興味があるなら自分でやってみたらどうか」と言われ、それが起業のきっかけになったそうです。
最初は創業者が自ら営業し、ロータリーバルブを設計し、協力会社で製造していました。紆余曲折あり、創業から7年で自社生産を開始。ロータリーバルブに限らず、粉用機械の開発を進めました。そして、海外の展示会視察や鋳物の調達先確保を進め、業績が拡大していきました。
2004年、ちょうど私が入社した頃に埼玉の本社工場だけではなく地方に進出しようということで、九州営業所を設けました。これが国内の営業所のスタートになります。また、九州に設けるのであれば関西も必要でしょうと、大阪営業所を出したという経緯があります。その後、中部営業所も設けることとなりました。
─入社後はどういった業務に携わっていたのでしょうか?
9年間は営業中心のマネジメントと中国法人の立ち上げをメインに行っていました。
─入社してから9年で社長に就任されたと。最初からそういった前提で入られたのですか?
入社当初からチャンスがあれば経営にチャレンジしたいと思っていました。
しかし、中国の立ち上げに集中していた際に「次の社長候補を入れたから、日本国内のことは心配しないで中国をやってくれ」と言われたこともありました。いろんなことがあり、結果、私が社長に就任することになりました。
─社長に就任してからはどのように取り組まれてきたのでしょう?
3年かけて理想の姿になるように徐々に切り替えていきました。
まずは組織体制を変えました。以前は、親方が一人いて、あとはみんな親方の言うことを聞いて仕事をする“文鎮型組織”に近かったのですが、“ピラミッド型組織”にしようと。そのためには中間管理職を育てていかなければなりませんでした。
そして、社長になって3年経過したときに、今後どんなことをやっていくか、売り上げは、利益は、教育は、といったさまざまな課題を見える化し、長期の経営計画書を作りました。3年の中期経営計画を3つ束ね、9年間の長期経営計画とし、来年でこの第1次長期経営計画が終わります。社屋の建て替えも長期経営計画に則って行いました。
2008年の中国法人立ち上げのあと、少し期間が空きましたが、2018年にタイ、2019年にインドに海外子会社も設立しました。私たちの活動エリアが中国、インド、ASEAN諸国と考えると世界の人口の40%を超える大市場。まだまだ伸び代があると感じています。
そして、日本国内の動きも、計画に則って進めています。自社製品にこだわらず、良い機械があれば当社の製品と一緒に提供することにも力を注ぎ、海外の粉用の機器・装置の日本代理店になりました。
自社製品と他社の商品、粉に関わる多くの商材がそろうと、お客さまから「それらを組み合わせて、粉用の設備全体をやってくれないか」との要望が出てきたため、エンジニアリング事業を立ち上げました。
今では、自社製品を製造販売する「単機事業」、代理店販売としての「代販事業」、粉用設備全体を請け負う「エンジニアリング事業」が弊社の3本の柱となっています。
■アイシン産業のこれからの挑戦
─今後について、目指す先を教えてください。
国内では代販事業とエンジニアリング事業の売上が全体の20%程度であり、まだまだお客さまの役に立てる伸び代があると考えています。
そして、新興国が発展していくにあたり、私たちは社会の発展に貢献していけるという自負があります。「日本でいろいろな失敗を経て経験したことが世界で活きてる!」という満足感に浸りたいですし(笑)、私たちのような中小企業であっても世界のニッチトップを実現することは可能であると思っています。
今後も、私たちは「平和かつ豊かな世界創造に貢献する」ために、粉の技術で世界の製造業を支えていきます。
─個人として、会社として挑戦していきたいことはありますか?
社員の心の教育・心の育成に今後取り組んでいきたいと考えています。
「魅力ある中小企業にしていこう」と掲げてはいるので、若い世代が“働きがい”を持ってやっていける風土作りをしていきたいですね。まずは、管理職に対するコーチング研修から始めようと考えています。
■一緒に変わっていける人に来てもらいたい
─どんな方にアイシン産業へ来てもらいたいですか?
・顧客・協力会社・社員など周囲の皆に信頼される
・クイックレスポンス、とにかく受け応えが早い
・問題にひるまず立ち向かい解決する
・現状に満足せず、常に問題意識を持ち自ら行動する
・あらゆることに興味を抱きよく勉強する
弊社が求める人物像としては上記のような人です。
そして、大手企業だとほとんどの場合「この職種で採用されるとそれだけ」と決まっていますが、弊社は中小企業ですのでそのあたりは自由だと考えています。
希望があればメーカーの営業も機械商社の営業もできる、機械・開発設計もできるし、粉体エンジニアリングもできる、製造にも携われる、品質管理も調達も一般事務も、出来ることと可能性が幅広くあります。その中でいろいろな経験をしながら自分に合うものを見つけてもらいたいです。もっと言うと、「経営やろうかな、社長やろうかな」という人がいても良いわけです。そういう夢は中小企業にあると思います。
私たちは、これからも社会の発展に貢献し続けるために、成長していきたいと考えています。完成されている状態ではなく、未来に向かって変わり続けていきたいというのが当社の姿勢です。だからこそ、一緒に変わり続けながら成長したいと思っている人に来てもらえたらうれしいです。